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在野の社会学研究者による尽きなく生きることの社会学

二クラス・ルーマン「信頼」


信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム
(1990/12/10)
ニクラス・ルーマン

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ルーマンは解説より本書を読もう

 二クラス・ルーマンといえば、難解で知られる社会学者である。たしかに抽象的な話が延々と続いて、いったいなにを言いたいのか分からなくなることがすごく多い。

 しかし正直に言って、ルーマンの解説本もルーマンと同じくらい分かりにくい。たとえば、ルーマン社会学の重要キーワードである「脱パラドクス化」をグーグルで調べてほしい。ルーマン初学者が読んでもさっぱり分からない解説ばかりである。

 だからルーマンを読んでみようと思う人がいたら是非、解説書を読まずにルーマンの著作を読んだほうがいいと思う。同じくらい難しいのだから、本人にあたるほうがマシである。しかしこれは「ルーマン」に限ったことで、他の論者にあたるときは解説本を読んだ方がいい。難しい本を読んだ気になって悦に浸りたい人以外は。

・コミュニケーション・システムという社会の捉え方

 わたしが始めて読んだルーマン本は「エコロジーのコミュニケーション」だった。ルーマンの中でもかなり平易に書かれているので、簡単にルーマンのエッセンスを知りたい人にはオススメの本である。

 そのときに一番驚いたのは、ルーマンの社会の捉え方である。「社会の捉え方」はいろいろある。ひとつの大きな「社会」があってその中に「経済」や「政治」などのカテゴリーがある、という伝統的な捉え方。また「家族や友人」などの(私的な)日常生活空間があって、その上に社会的(公的)な「経済・政治」などがある、というハーバーマス的捉え方。ほかには、生産する空間があってそのうえに文化的な空間がある、というマルクス主義的捉え方もある。それぞれ「社会」をどういう風に切り分けてカテゴライズするか、でその論者の特色がわかる。

 ルーマンはというと、コミュニケーションの「ものさし」で社会をわける。コミュニケーションの「ものさし」というのは、私たちがコミュニケーションするときにいつも使っている基準のことで、「儲かるか儲からないか」「合法か違法か」「真か偽か」「尊敬するか軽蔑するか」「権力を持っているかいないか」という二元的なコードのことである。

 この各コード(ものさし)に沿ってシステムが構築されている。これは「経済」「法」「政治」「科学」「教育」などのカテゴリーのことである。経済は「儲かるか儲からないか」、法は「合法か違法か」というコードに対応している。このようにルーマンは、コミュニケーション・コードごとに社会を切り分けたのである。

 そして、なにより画期的なのは、これらのコードに沿って作られたシステムは互いに独立しており、社会を統一するようなコードはない、ということである。だから「経済システムのコード」で話している人と「教育システムのコード」で話している人は、絶対に折り合いがつかない。そもそもお互いに持っている「ものさし」が違うのだから、折り合いがつくはずがないのである。

 ルーマンは、近代社会の発展を「機能システムの分化と自律化」という言葉で表している。各機能システム(各コード)は、互いに分化して、独立したものになっている。そのようなシステムが、統一されずに、いくつも併存しているのが、我々の社会なのである。

・信頼という問題

 この話は、今回の「信頼」にあまり深く関係しないので、このくらいにしておこう。今回のテーマは「信頼」である。なぜ「信頼」かというと、これが社会の存立においてかなり重要な存在だからである。

 わたしたちは、意識的にせよ無意識的にせよ、「信頼」しないと社会で生きていけない。「オレはなにも信頼しない」という人だって、そういうポリシーを信頼しているし、そもそも意識してないだけで色んなことを信頼している。「明日も太陽が西から昇ってくること」「コンビニでお釣りをちゃんと返してくれること」「110番したら警察が来てくれること」。もしこのような信頼がなかったとしたら、私たちは頭が狂ってしまうだろう。

 このように説明すれば、社会の存立にとっていかに「信頼」というキーワードが大切であるかが理解できる。ルーマンはこの「信頼」がどのように生まれるのか、どんなメカニズムで動いているのか、そしてどんな機能(役割)を持っているのか、という一連の問いを明らかにしようとする。

・複雑性の縮減

 我々は不確実で複雑な世界にいる。しかしそれでも頭が狂わないのは、複雑さを減らしてなるべく考えないようにしているからである。いちいち「もしかしたら明日は太陽が昇らないかもしれない」という可能性を人は考えない。そんな無限の可能性をいちいち考えずに、「当たり前のこと・自明なこと」として処理する機能が信頼である。ルーマンはその機能を「複雑性の縮減」と呼ぶ。

信頼が存在するところでは、体験と行為の多くの可能性があり、社会システムの複雑性が増しており、従って社会システムの構造と調和しうる可能的事態の数が増している。というのも、そこでは複雑性を有効に縮減する形式が、信頼という姿で利用可能になっているからである。(11)

 いわば信頼とは根拠のない予期のことである。未来のさまざまな可能性を無視して、「明日も太陽が東から昇るだろう」という予期を無根拠に信じる。これが信頼である。もちろんその予期の不安定さを補うための情報が必要になる。「昨日も東から太陽が昇った」「教科書にもそう書いてある」。このような情報を集めて、予期が外れるかもしれないという心理的不安定感から免れようとする。しかしいくら情報を集めたところで信頼はしょせん、未確定なものを確定的に思い込むものでしかないのである。

 信頼はいたるところに偏在している。「太陽は東から昇る」というような世界認識にかかわる信頼。「この人はたぶん私を裏切る人ではない」、というような人的信頼。そして「日本の貨幣システムはそうそう瓦解することはない」、というようなシステム信頼。このような信頼が折り重なって社会の秩序が維持されているのである。