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在野の社会学研究者による尽きなく生きることの社会学

見田宗介「まなざしの地獄」


まなざしの地獄まなざしの地獄
(2008/11/07)
見田 宗介

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・文筆家としての見田宗介

 見田宗介といえば、日本社会学界に燦然と輝く大スターである。その所以はもちろん「人間・社会の総体」を記述するという大柄なテーマ設定とそれに負けない緻密なロジックにある。しかし、なによりもまず彼は文章がうまい。彼の著作を紐解くとすぐに痺れるような名文に出会う。だからこそ学術論文を読んでいるのに、長編小説を読んだあとのような不思議な読後感を味わうことができるのである。

 本書は短いエッセイ形式の論考であるが、それゆえに特に「見田的名文」に多く出会うことができる。『まなざしの地獄』の冒頭は、このような文章から始まる。

都市とはたとえば、二つとか五つとかの階級や地域の構成する沈黙の建造物ではない。都市とは、ひとりひとりの「尽きなく存在し」ようとする人間たちの、無数のひしめき合う個別性、行為や関係の還元不可能な絶対性の、密集したある連関の総体性である。(7)

 これで本書のエッセンスのすべて表現しているといっても過言ではない。普通、ロジカルな文章を書こうとすると、情緒のない乾燥した文になる。他方、情緒的な文章を書こうとすると、たいていロジックのない主観的感情だけの文章になる。しかし「見田的名文」の凄さは、その両方を尽きなく表現しきることにある。

 上に引用した文章もそうだ。「都市に住む無数の人々にも、一人ひとりのドラマがある」的な主張はこれまでも多く語られてきた。しかし、ここまで的確でうまい表現を私は知らない。『「尽きなく存在し」ようとする人間たちの、無数のひしめき合う個別性』なんて言葉は、たぶん一生かかっても書けない。

・「人間」を記述する社会学

 本書は、1968年に起こった連続ピストル射殺事件の犯人、永山則夫(N・Nと記述されている)に関する論考である。というよりもN・Nというひとりの若者の生い立ちを通して日本近代社会の構造的軋轢を記述しようとしている。

 ときたま、「学問」をやっていると「人間」がわからなくなる、というようなイノセントでステレオタイプ的な指摘をしてくれる人がいる。おそらく「ガリガリ博士」のようなマッドサイエンティストか、ドラマでよく出てくる「高飛車な大学教授」のイメージが頭にこびりついているのだろう。

 私はそういう人にこそ本書を読んで欲しいと思う。見田がここで丁寧に記述するのは、彼らのいう「人間」である。ひとりの人間が社会や他人と向き合う際の、軋轢と心情の機微が描かれている。しかもイノセントなステレオタイプではなく、しっかりとした深みのある論考になっている。

・まなざしの地獄

 とりあえず簡単にあらすじを解説しておこう。

 N・Nは、青森県の貧乏な家に生まれる。彼にとっての希望は「東京」だった。中学時代に一年の半分を欠席していた彼は、「上京」という選択肢がリアリティを持つに従い、真面目に教科書を持って学校に通うようになる。

 

<上京>はN・Nにとって、その存在を賭けた解放の投企であった。(10)

  家郷嫌悪が彼のアイデンティティの中核に居座り、その自己解放の手段として投影されたのが「東京」だったのである。異世界に旅立つこと、それが現世界を生き抜く希望であったのだ。

 彼は、自由に自らの生を生きようとしていた。「尽きなく存在し」ようとしていた。しかし現実の東京は、そんな青年を受け入れることはなかった。東京が欲していたのは、安価な労働力だったのだ。

 そしてN・Nは、捨てたはずの「家郷」がいまだ自分を拘束していることを知る。地方出身の最下層労働者として彼は生きざるをえない現実を知るのだ。

 彼を追い詰めたのは、都会からの「まなざし」だった。地方出身であるという事実を隠すため、彼はあらゆる都会的記号を身につける。ブランドの服装・持ち物を持ち、出生や肩書きを詐称した。しかしそうすればするほど、彼は「尽きなく存在し」自由に生きることができなくなる。まなざしの地獄は、八方塞がりなのだ。

 彼は、自由に生きることを妨げるすべてのものを嫌悪するようになる。母親、青森の実家、貧乏、東京。自己の存在を妨げようとするものすべてに憎しみを抱くようになる。そして彼は凶行に走る。

 N・Nの被害者の家族が法廷で「極刑をお願いします」と叫んだとき、N・Nはこのように感じたという。「これは、私自身がこの事件をやる直前の感情に似ている」と。

 

 見田は、N・Nに対して道徳的断罪もしないし、情緒的同情もしない。ただ明晰にN・Nの置かれた状況を記述する。しかしそれが逆に読者を深い哀しみに誘う。都市という構造がひとりの若者の実存に襲いかかる様子を想像させる。これが「人間」を記述する社会学なのである。