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在野の社会学研究者による尽きなく生きることの社会学

ジークムント・バウマン「リキッド・モダニティ」


リキッド・モダニティ―液状化する社会リキッド・モダニティ―液状化する社会
(2001/06)
ジークムント バウマン

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現代社会の様相を記述する予言者

 ここ最近のバウマン人気がすごい。名だたる思想家・社会学者に好意的に引用され、もはや「神」扱いである。というのも「現代社会を説明する」ときに、バウマンが生み出した「言葉」があまりにも使いやすく、本質をよく捉えているからだろう。

 「リキッド・モダニティ」という彼の造語もその一つだ。モダニティ(近代社会)には、二つの段階がある。最初のソリッド(固体的)な近代とは、個人が「地域」「家族」「会社」などの中間的共同体に覆われていた時代。それぞれの原子(個人)が、ひとかたまりに結びついた固体のような社会であった。

 それに対してリキッド(液状)な社会とは、個人(原子)がバラバラに動き回る液体のような社会である。

 すなわち現代は、リッキド・モダニティである。中間的な共同体は後衛に退き、個人化が進展する。

 そのような社会では、すべては「一時的・その場限り」のものになる。「家族」も自由にくっついたり離れたりするようになり、離婚・再婚が当たり前になる。また、「会社」も一生とどまり続けるものではなく、自由に転職を繰り返えすようになる。

 つまり「今」の状態が今後も続くわけではなく、つねに「その場しのぎ的」に今を生きる(しかない)のが現代なのである。

 

 どうだろう。「リキッド・モダニティ」、的確でいい言葉だと思う。うまく現代の様相を言い表している。しかし、これは別に「良い悪い」の問題ではなく、必然的な現象である。

個人化は宿命であって、選択ではなかった。個人に選択の自由はゆるされても、個人化を逃れ、個人化ゲームに参加しない自由はゆるされない。(45)

 現代において「自由」は飛躍的に拡大したが、唯一の制限は「自由にしかなれないこと」である。我々は常に「選択」を求められるし、それからは逃れることができない。ある意味では昔のほうが楽だった、とも言えるかもしれない。

・ペグ・コミュニティ

 そのようなリキッド近代では、共同体はどのようになるのか。バウマンは、これまた面白い言葉を創作する。

 「ペグ」とは、洋服をかけるための「でっぱり」のことである。共同体はもはや「ペグ」のような存在でしかない。必要なときにそこに洋服をかけて、時間がたったら取り外して帰る。つまり人間関係もこのような一時性しかない、ということである。

 コミュニティは参加と離脱をくりかえす「ペグ」でしかない。しかし、それは本当の「コミュニティ」といえるだろうか?

 共同体の一番の機能は、所属する個人に根源的な安心とアンデンティティを付与することにある。ソリッドな近代では、家族型経営の企業や、地域コミュニティ、家族などが、その役割を担っていた。

 しかし「ペグ・コミュニティ」では、そのような安心とアイデンティティは得られない。共同体は、ただ一時的に目的のために参加したにすぎず、そのうち離脱するものであるからだ。マイケル・サンデルがいうような共同体主義は、リキッド・モダニティの前ではただの夢でしかない。

・「グローバルとローカル」のルール

 リキッド・モダニティでは、個人は自由に動き回る。と同時に自由に動き回れることが価値を持つ。

 これは重要なことだ。つまり現代では「自由に動き回れる人」が勝ち組に、「その場にとどまるしかない人」が負け組になる。

 「ノマド」「グローバル・ビジネスパーソン」といった人たちは、土地に縛られることを嫌う。そして物を所有することに執着しない。なぜなら物を所有すると動きにくいからだ。そしてキャリアですら大胆に捨ててしまう。「動き回ること」が至高の価値を持っているのだ。

 

 その一方で、「ローカル」に縛り付けられた人もいる。彼は「転職」したくてもできず、「土地」に縛られ、「人間関係」から自由に参加・離脱することができない。

 つまり、ゲームのルールが変わったのだ。ソリッドな近代では、「多く所有すること」がゲームのルールであった。そのためGMの会長は、あらゆる会社を所有し、巨大な建築物を建てた。

 しかしリキッドな近代では、「自由に動ける」プレーヤーがゲームの勝者だ。ビル・ゲイツスティーブ・ジョブズザッカーバーグ。彼らは所有にも地位にもこだわらない。大きな建造物を建てたりもしない。いつでも撤退できるような身軽さが彼らの武器なのである。

 バウマンはかなりの高齢だ。けれど彼の仕事は、実はまだ終わっていない。

 これまでの彼の仕事は、「現状の分析」だった。そして彼はその分析をもとに「リキッド・モデ二ティをいかに乗り越えるか?」という問いに挑戦しようとしている。

 どうかそれまでお元気で。