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在野の社会学研究者による尽きなく生きることの社会学

ドナルド・トランプがこれまでの極右政治家とは違うところ

アメリカ大統領選の山場である「スーパーチューズディ」を制したドナルド・トランプ。連日のニュースでも「トランプ逆転」の見出しが躍っている。

「ああ、大変な世の中になりそうだ」と感じてる方も多いと思う。わたしもそう思う。わたしは、「ドナルドトランプが大統領選で追い上げ」の報道をみたとき、北斗の拳の世紀末を連想した。海は枯れ、大地は裂け、人々が暴力に明け暮れる。

もちろん勝手な妄想だけれど、「世界が大きく変わる」ような破滅的予感は共有してもらえると思う。別にヒラリー・クリントンが良いとは思わないけれど、やっぱりトランプよりは被害が少なそうだ。

 

それにしても興味深いのは、「なぜトランプがこれほど支持を集めるか」という点だと思う。傍若無人で暴言も厭わない。デリカシーやマナーといったものも持ち合わせていなさそうだ。明らかに一国の長にはふさわしくないように見える。

これを単純なグローバルな「右傾化」の一環とみなすのはやや標的を外しているように思える。もちろん彼の思想自体は、典型的な排斥主義的な極右のイデオロギーであり、トランプ支持の要因もそれに負うところが大きい。しかしそれだけではない。あの、「デリカシーのなさ・粗暴さ・品格のなさ」そのものが支持要因のひとつになっているように思える。

フランスの極右政党「国民戦線」のルペンも、日本の安部首相も、(個人的には好きじゃないけど)一応、人としてもマナーや品格は持ち合わせている。「ポリティカルにコレクトな発言」の範疇で、右寄りというだけだ。しかしトランプは違う。メキシコ人はみな強盗犯で、イスラム教徒はテロリストで、女性は国の長になるべきではない、と発言している。これまでの極右政治家とは、少々毛色が違うのだ。

 

私たちは「当たり前」の言葉に耳を向けない。たとえそれが正しくても。

「人を殺してはいけない」「平和であるべきだ」「人を騙したり傷つけないほうがいい」。ごくごく当たり前だけれど、当たり前なぶんだけ、その言葉は強度を失う。誰も耳を傾けなくなる。トランプ旋風の背景には、こうした原理が動いているように思える。