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在野の社会学研究者による尽きなく生きることの社会学

生涯ランキングー小説編ー

生涯ランキングー評論編ーにつづき、小説編。

選定基準や注意点は前と同じなので繰り返さない。さっそくやってみよう。

 

生涯ランキングー小説編ー

第10位 フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1977)

正直にいって、1位2位はすぐに決まる。「これしかない」という感じなのだけれど、9位10位が本当に難しい。正直にいって9位10位あたりの作品って無数にある。その中から選ぶのが本当に大変だった。泣く泣く圏外に落ちた作品を思うと夜も眠れない。

そんな中で選んだのが、『電気羊』。なんというかこの読後感はディックにしか出せない。むかし誰かが「心が擦り切れたときは、フィリップ・K・ディックが沁みる」というような話をしていた記憶があるけれど、たしかにそうだと思う。独特のやるせなさと、現実の平衡感覚を失う感じを味わいたいときは、ディックを読めばいいと思う。

 

第9位 ガルシア=マルケス百年の孤独』(2006)

こういう一般的な評価が高い名作を挙げるのは忍びないんだけれど、やっぱり挙げざるをえない。正直にいって、ほとんど筋は覚えていない。10年以上前に読んだきり。けれど読んでるあいだの心の動きや感覚は克明に覚えている。

ラテンアメリカ的な乾燥した雰囲気と不可思議な非現実性。ページをめくる手がいっこうに止まらなかった。

 

第8位 レイモンド・チャンドラー『ロンググッドバイ』(2010)

清水俊二訳の『長いお別れ』でもよかったけれど、個人的な好みとして村上訳で。

なんといってもとにかくかっこいい。マーロウもかっこいいし、文章も最高にかっこいい。「さよならを言うとこは、少しだけ死ぬことだ」とか言ってみたい。バーに入ったらマティーニとか飲んでみたい(お酒ほとんど飲めないけど)。

ああいうセンスのある文章では、チャンドラーはナンバー1だと思う。もちろん気の効いた巧みな文章だけでなく、ふつうも描写もけっこううまいけど。

 

第7位 高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』(1982)

高橋源一郎をひとつ入れたかったけど、どれにするか悩んだ。候補としては『優雅で感傷的な日本野球』『ゴーストバスターズ』と本書だった。『優雅』は、まったく意味がわからないけれど、なぜだか繰り返し読みたくなる謎の小説。どうしてかわからないけれど、高橋源一郎は再読率が高い。

正直にいって『さようなら』は、他の高橋作品にくらべると再読率が低い。でも、やっぱり読んだときのインパクトを考えると、この作品を選ばざるをえなかった。

たぶん大学1、2年生のころだったと思うけれど、1ページ目を読んで「なんだこれ」と呆れた。ふざけやがって、と思った。それでも先に進みたくなって、どんどん読んでいった。やさしい、小説だった。

 

第6位 ヘミングウェイ老人と海』(1955)

小学生か中学生のときに読んだと思う。そのころほとんど本を読まない人間だったけれど、「薄い本だし大丈夫だろう」と思って読み始めた記憶がある。わたしは読んだ本の内容をすぐに忘れてしまうダメ人間だが、この本はかなり覚えている。

漁に出るまえに少年と野球の話をしてるところとか、獲った魚をサメに食われまいと棍棒で格闘するところとか、ほとんど骨だけの魚をひきづって港に戻るシーンとか。

これだけ鮮明に記憶に焼きつく文章ってそうそうない。単純な評価でいえば『老人と海』は、ヘミングウェイ作品のなかでも、正直あまり「良い」とは思わない。けっこうほかの短編のほうが胸を掴むものが多い。けれど、やっぱり『老人』よりも心に残ってはいない。そういう作品って、貴重だと思う。

 

第5位 ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』(1978)

本当にこの作品を挙げたくなかった。名作中の名作を推すのは、気が引ける。でも、正直に「圧倒された」のだから仕方ない。正直にいって、あの頃『カラマーゾフ』の持つ深みやテーマをどれほど理解できていたかは分からない。たぶんほとんど理解できてなかったと思う。それでも、なぜだか「圧倒する」ほどの力のある作品。

 

第4位 絲山秋子『イッツオンリートーク』(2003)

名作のあとに、こういう短編が入るとほっとする。絲山秋子のデビュー作。内容に関しては前にどこかで書いたので繰り返さないけれど、小説の「世界の眺め方」がとても気に入った。自分自身の体験なのだけれど、どこか他人事のように遠くから眺める。こういう感覚っていいな、と大学の図書館で感心した二十歳の夏だった。

 

第3位 カート・ヴォネガットスローターハウス5』(1987)

たぶんカート・ヴォネガットの本はたいてい読んだけれど、『スローター』は始めに読んだ作品だった。たぶん『タイタンの妖女』を最初に読んでいれば、また違ったのかもしれない。

なんだろう、この人の感性。やさしいのに、やるせない。親切なのに、残酷なまでに乾ききっている。とくに『スローター』はそういう感性が全面にでている作品だと思う。読んだ人ならわかるけれど「そういうものだ」のリフレインが、この作品全体の異様な雰囲気を生み出している。救いようもない話だけれど、この世界がそうなのだから仕方がない。そういうものだ。

 

第2位 村上春樹ねじまき鳥クロニクル』(1997)

いさぎよくここで村上春樹を。そして、王道中の王道『ねじまき鳥クロニクル』を。

やっぱりいいものはいい。正直にいって、「村上春樹」という言葉自体に政治性があり、党派を問われているような感覚があって気軽に名前を口にすることもできないけれど、いいものはいい。というようなことを書いていると、もう一度読みたくなってきた。

『ねじまき』といえば、「パート3」は必要だったのか問題がある。「パート1・2」でやめておけばよかったのではないか? という主張がけっこう根強い。たしかにそれも分からないではないけれど、やっぱり一読者としては、「パート3」があってよかった。どんな結末であれ、きちんと決着がつくというのはけっこう大事なことだと思う。かっこう。

そういえば、『スローター』もそうだけれど、世界に翻弄されるボンクラ男という物語、けっこう好きなのかな。。

 

第1位 J.D.サリンジャーフラニーとゾーイー』(1961)

この作品の第1位にまったく迷いがなかった。何度も何度も読み返す作品。すべてがいい。文体も超絶ミラクルだし、人物も愛すべき存在だし、テーマもいいし、ラストの終わり方も最高。なんど読んでも感動できる。素晴らしい。人類の宝だと思う。

この本を読んだ時、たぶんフラニーと同じ年齢くらいだったと思う(もうすこし若かったかもしれない)。60年代アメリカでも、00年代の日本でも、若者はいつもおなじような悩みを抱えている。そういう悩みをカラフルで鮮やかに、そして鮮明に描き切った青春小説の金字塔だと思う。

あとたまにあの小説を「宗教っぽい」という人がいるのだけれど、どうしてだろう。たしかに宗教の話をしているけれど、それはテーマとはまったく関係ない。ただの話を組み立てるツールにすぎないと思うんだけれど、どうなんだろう。

たしかにラストの「ふとっちょおばさん」のシーンは、宗教の天啓とか悟りっぽい感じもする。わたしとしてはあんまり関係ないと思うけれど。

 

ということで、生涯ランキング小説編のまとめ。

第10位 フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1977)

第9位 ガルシア=マルケス百年の孤独』(2006)

第8位 チャンドラー『ロンググッドバイ』(2010)

第7位 高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』(1982)

第6位 ヘミングウェイ老人と海』(1955)

第5位 ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』(1978)

第4位 絲山秋子『イッツオンリートーク』(2003)

第3位 カート・ヴォネガットスローターハウス5』(1987)

第2位 村上春樹ねじまき鳥クロニクル』(1997)

第1位 J.D.サリンジャーフラニーとゾーイー』(1961)

 

まだまだやることはある。漫画編とか映画編とかアニメ編とかテレビドラマ編とか。たいへんだ。