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在野の社会学研究者による尽きなく生きることの社会学

こうの史代原作・片渕須直監督『この世界の片隅に』③

まさか一つの作品に3つも文章を投稿するとは思ってなかったが、書き足りないのでもう少し書いてみたい。

一つ目の文章では、この作品の語りきれない感動を書いた。

二つ目の文章では、正面切ってテーマについて言及してみた。

 

三つ目の文章では、その作品の捉え方について少し語ってみたい。

そう思ったきっかけは、NHKクローズアップ現代」の『この世界の片隅に』特集を見たからだ。能年玲奈の問題もあり、民法ではほとんど広報的なことができないなかで、NHKが正面切って長尺の特集を組んだのは、ほんとうに素晴らしいと思う。

けれどちょっと「捉え方」に違和感をもった。

この番組では、視聴者の感想や、スタジオのコメンテーターがこの作品の魅力について語るのだが、その語り方が次のような感じだった。

 

(視聴者の感想)

昔あった戦争で亡くなられた方たちって

本当に今の私と何も変わらない命を持った人たちだったんだな

 

(コメンテーター)

70年以上前の戦争の話なのに地続きに感じる。

 

たぶんこれが、この作品の正統的・王道的な感想なのだと思うし、原作者も監督も、それを目指していたのだと思う。主人公すずさんは、「かわいそうな人間」でも、「愚かな人間」でも、「歴史上の人間」でもない。わたしたちと同じように生き、生活を営んでいた、と。

たしかに作品をみていると、「すずさん」は本当にわたしたちと同じように生きているように感じる。

 

でも、やっぱり違うと思う。

我々は「すずさん」ではない。あれほど朗らかに、そして懸命に日常を生きることはできない。もっと汚く、もっと弱く、もっと醜い。たしかに原作の「すずさん」にも、現実の過酷さに負けて幻想に浸る弱さがあるし、夫の過去に嫉妬することもある。それでも、あれほどに現実を豊かに生き抜く生活力を持ち合わせていない。第一、あんな朗らかな笑顔を現実でそうそう見ない。

 

たしかにあの作品には圧倒的な「リアリティ」があり、それぞれの人物や生活がまるで現実のように息づいている。しかしそれは「リアル」ではない。現実そのものではない。あくまでも、とてつもなく「ありえそうな理想」なのである。だからこそそこにカタルシスがある。

 

ほんとうに「リアル」な戦中の田舎の生活を見たければ、わざわざ物語にする必要もないし、劇場用アニメ作品にする必要もない。文献と資料を漁ればいい。それこそがまさに「リアル」である。しかし、「すずさん」という「ありえそうな理想」を構築することによって、はじめてわたしたちの心の深い部分が揺り動かされ、衝撃的な感動を味わうことができる。

あくまでも「すずさん」は、架空のヒーローである。現代人が無意識のうちに「こうなりたい」と願う理想像である。そのことは理解してから特集番組をつくったほうがいいのではないか。

「戦時中の日常をリアルに描いた」とか言われると、単なる自然主義リアリズムっぽく聞こえる。そんなもんじゃないでしょ。解説するときはもう少し言葉を選びましょうよ、NHK