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SOCIE

在野の社会学研究者による尽きなく生きることの社会学

デイヴィッド・ライアン「監視社会」


監視社会監視社会
(2002/11)
デイヴィッド ライアン

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・「監視社会」論の意味

 ここ最近、現代社会学の周辺では「監視社会」という言葉がブームになっている。もちろんこの分野をフォローしていない人にとっては全く馴染みないものかもしれないけれど、近年やたらと局地的頻出ワードになっている。いっときの「再帰性」ブームには及ばないけれど。

 なぜ社会学者や思想家たちが「監視社会」をそれほど注視するのだろう。正直わたしはずっと疑問だった。一応軽く議論の概要は知っていたつもりだったけれど、それでも「監視社会」がそれほど重要なテーマだとは思えなかった。

 「監視カメラが増えたって別にいいじゃないか、そのほうが安全だし」「企業が個人情報を収集しようが別にいいじゃないか、マーケティングが進んでよりよい商品ができるわけだし」。なぜ社会学者たちはそこまで「監視」にこだわるのか。「ジョージ・オーウェルビッグブラザー」なんてフィクションの世界である。そう思っていた。

 そこで「監視社会論」の本家本元、議論をするには絶対避けて通れないライアンの『監視社会』を精読してみた。

 

 読んでみてわかったことは、少なくともライアンは、私たちが想像するような「監視社会」の姿とは別のものを想像していたということだ。ライアンが描く「監視社会」は、オーウェルが描くようなプライバシーと表現の自由が統制されるような全体主義的圧政ではない。ある意味では、それよりももっと危険なものだ。

 ライアンは監視についてこのように述べる。

 

監視とはなにか。ここでは個人の身元を特定しうるかどうかはともかく、データが集められる当該人物に影響を与え、その行動を統御することを目的として、個人データを収集・処理するすべての行為である。(13)

 現代の「監視」は、データに対する監視である。個人属性データ、消費行動データ、サイト訪問データ、クレジットカードデータ、公的機関利用データなど。これらは情報通信技術を基盤として、収集され、目的ごとに利用される。

 オーウェルの監視カメラとは違い、その情報収集は、知らないあいだにひっそりと行われ、収集されたデータもひっそりと使用されるということだ。

・情報技術を基盤とした監視による社会の再編成

 ではそれのなにが問題なのか?

 プライバシーももちろん心配だが、そんなことは大したことではない。問題は、そのことによって「社会」そのものが再編成されようとしている、ということだ。

 

 監視という問題は、ここでは社会学的関心の対象として考察される。それが、社会の秩序編成そのものに寄与するからだ。つまり、監視の「もう一つの顔」は、それが担う社会的・経済的分割を強化する働き、選択を誘導し、欲望に方向を与え、いざとなれば束縛・管理するという働きに由来するのである。

 …この監視能力は、人間集団を分類・選別し、カテゴリー化・類型化するために、一部の人々のライフチャンスを増進し、別の人々のそれを抑制するために用いられる。(16-17)

 「監視」の目的は、リスクの管理である。あらゆるリスクを計算し、あらかじめ排除するために監視という情報収集が行われる。そのときに起こるのは、「人間社会のカテゴリー化」である。

 たとえば、あなたが犯罪の多い地域に住んでいたとする。保険会社はその情報を収集し、保険料を値上げするかもしれない。また、あなたの両親が犯罪者であった場合、警察は「犯罪者の子供が犯罪を犯す確率データ」を盾にあなたの自由を制限するかもしれないし、企業は就職を拒否するかもしれない。

 これらは極端な例だが、社会の趨勢はそのような方向性へと向かっている。「事前のリスク回避への欲求」と「情報通信技術によるデータ収集」という両輪は、不可避に「人間社会のカテゴリー化」とその対処、という道に向かっているのだ。

 一昔前であれば、「自分の個人データ」なんて別の街に引越してしまえば、それに影響されることもなく、新しくやり直せたものだ。しかし今では、一生消えることなく自分に影響を与えつづける。なぜなら「監視」は社会のあらゆるところに偏在し、つねに情報を収集しようとしているからだ。行政、企業、個人、すべてがその監視主体となる。

 なぜこのような「監視」が、オーウェルディストピアよりも危険なのか?

 その答えは、ライアン的「監視」は、主体自らが監視され、管理されることを望んでいるからだ。全体主義的な監視による理不尽な圧政は、市民が立ち上がって革命を起こせばすぐに終わる。しかしライアン的「監視」は、リスクを管理・統制するという「合理性」ゆえに、誰も反対しない。だからこそライアン的「監視」は、着々と進行し、いつの間にか社会を作り替えてしまうのである。