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在野の社会学研究者による尽きなく生きることの社会学

アンソニーギデンズ「モダニティと自己アイデンティティ」


モダニティと自己アイデンティティ―後期近代における自己と社会モダニティと自己アイデンティティ―後期近代における自己と社会
(2005/05)
アンソニー・ギデンズ

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・日本で大人気の社会学

 現実の社会に現れている現象をスッキリと説明する「言葉」を開発すること、これが社会学のひとつの使命である。たとえば多くの人々が合理的な理由もなしにある人物に従う現象をウェーバーは「カリスマ」という言葉で説明した。他にも「アノミー」とか「ジェンダー」「ハビトゥス」「オートポイエーシス」などの無数の言葉が社会学者によって開発されている。

 社会学者としての善し悪しは、どれだけ正確に包括的に社会現象を説明する言葉を作れるかというところにある。ようは、色々なことを説明できる使い勝手のよい言葉が尊ばれるのである。その意味で、アンソニーギデンズは世界的に大人気の社会学者である。なぜだか分からないけれど、特に日本での人気が強い。それはひとえに彼の開発した「言葉」が多くの現象を説明できるからだろう。

 「再帰的近代」「脱埋め込み・再埋め込み」「自己の再帰的プロジェクト」など、彼の開発した言葉はたぶん50個くらいあると思う。この本のなかだけでもかなりの数にのぼる。もちろんたくさん言葉を作ればいいというわけではない。どれだけ使い勝手がよい言葉か、今までうまく説明できなかったことをどれだけ説明することができる言葉か、というところで勝負が決まる。

・未来の植民地化

 ギデンズが生み出した言葉のなかでもかなり重要なキーワードのひとつが「未来の植民地化」である。これは「リスクの個人化」や「自己の再帰的プロジェクト」といった他の重要ワードの前提となる言葉である。もちろんこの「モダニティと自己アイデンティティ」のなかでも中心的概念になっている。今回はとりあえずこれを説明しよう。

 「リスク」という言葉は、とくに最近になってかなり頻出するワードになった。政治でも経済でも科学でも最近よく叫ばれている。ではなぜ現代になって特に皆が「リスク」を意識しはじめたのか。

 ギデンズはその疑問を「未来の不確実性を管理する方法」の歴史的変化にもとめている。前近代社会では、未来の不確実性は「宿命」として処理された。「地震が起こる」とか「不作が続く」といった自然的なものから、「家が火事になる」とか「他国が攻めてくる」といった人工的なものまで、未来に起こることは「神の御業」としてあらかじめ決められたものとして受け入れられていたのである。

 しかし近代社会では、そういう伝統的な因習から抜け出して、理性と科学をもとに人間が未来を切り開くという態度へと変わっていった。伝統から離れることで近代において、「未来はすでに決まっているものではない」という認識が芽生える一方で、「未来は人間によって操作可能なものである」という認識が生まれたのである。そのときに未来は、計画的に構想されるものになった。

 このときに「未知のものとしての未来」から「計算可能な未来」へと未来の性質がだんだんと変わっていく理性のあり方をギデンズは「未来の植民地化」と呼んだ。このことによって近代になって「リスク」という言葉が誕生した。未来における選択の可能性を数え上げて、その帰結を計算する態度が生まれてはじめて「リスク」概念が誕生したのである。

 未来が本質的に知りえないものと認識され、過去から乖離していく一方で、この未来は新しい領域―反実仮想的な可能性の領域となる。この領域がひとたび確立されると、そこには反実仮想的思考やリスク計算を通じて植民的な侵入ができるようになる(127)

 反実仮想的思考とは、「もしも~だったら」という未来の可能性を考える思考のことである。人間が伝統から離れることで「未来は知りえないもの」と認識されるようになるが、その一方で未来を計算しようとする態度が生まれる。これが「未来の植民地化」である。

 しかし初期の近代社会では、まだ「リスク」は個人が考えることではなかった。それは国家とか企業が考えるべきことであり、一般の生活者はまだまだ伝統的因習に拘束されていた。つまり「未来の植民地化」は、大きな社会関係の単位で行われていて、個人単位ではまだ行われていなかった。

 それから現代になると、とうとう伝統は完全に解体される。国家とか企業といった社会関係の単位も影響力を弱めて、個人が「自分のことは自分で考える」時代に入る。そこではじめて「未来の植民地化」が個人にとっても重要な問題になる。ひとりひとりが戦略的に自分のライフプランを構築するために、未来を計算可能なものとして捉える態度が強制されるようになるのである。

 そのことによって一般の生活者でさえも「リスク」ということを気にかけるようになる。それまでは「牛肉の安全性」なんていちいち考えなくてもよかったし、「この医師がどれくらい有能か」とかを判断する必要もなかった。しかし現代ではそうもいかない。ひとりひとりが未来についてリスク計算的な態度を身につけなければならなくなったのである。