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SOCIE

在野の社会学研究者による尽きなく生きることの社会学

生涯ランキングー評論編ー

ひとりで過ごす時間が多い人は、ひとり遊びがだんだんうまくなる。その昔、ムーアの法則といって、「半導体の進化は18ヶ月で2倍になる」というよく分かんない法則があったけれど、あれと同じで、ひとりで過ごす時間が長くなるほど、指数関数的にひとり遊びがうまくなっていく。

ちなみに今日やったのは、本や映画やドラマなどのコンテンツの生涯ランキング作成。やったことがある人なら分かるけれど、これが案外おもしろい。どんな映画見たっけ、と記憶をほじくり出していくと、忘れていたような過去のさまざまな思い出が蘇ってくる。

それに実はこれ、結構難しい。「生涯ランキング」というだけでは、定義があいまいで、まずは選定基準を定めるところから始めなければならない。「結構好きなんだけど、あまり評価できない」とか「めちゃめちゃクオリティが高くて勉強になったけど、自分の人生に与えたインパクトは低い」とか、コンテンツの需要の仕方って結構複雑なのだ。観たタイミングとか心理状態にも左右される。

だから「生涯ランキング」の選定基準を次のように定めた。自分がそれを観たときのインパクト(印象の強度)が強かったもの。そのため、このランキングは、「クオリティの高さ」とは関係ない。あまりに偉大な作品は、「お勉強」として受容してしまうので、印象としてはどうしても薄くなる。

そしてこれが大事だが、ルールとして、「自分の気持ちに正直になること」を定めた。これをやらないと、「いわゆる名作」とか「これを選んでおくと通っぽい」というようなよこしまな気持ちが出てしまう。

 

前置きはこれくらいにして、とにかく発表しよう。

 

生涯ランキングベスト10 ー評論(ノンフィクション書籍)編ー

第10位 吉本隆明『転向論』(1990)

この人を読もうと思ったきっかけは内田樹からの芋づる読書だった。なのである程度予備知識があったので、それも左右しているのかもしれない。

ご存知の方も多いと思うが、吉本はもともと「軍国少年」だった。そんな彼が敗戦後、そのことについてどう折り合いをつけるか。自分の信念に従って皇国主義を貫くか、自戒・反省し、平和主義を標榜するか、それとも軍国少年であった過去を隠匿するか。道はたくさんあったが、彼はそのどれも選ばなかった。「軍国少年」であった過去を否定も反省もせず、それを背負いながら平和主義の有り様を探し求めた。

いちいち指摘することもないけれど、『転向論』は、そんなことには一切触れられていないものの、彼の実存的問題が全面に現れた論考である。こういう実存的問題に真摯に取り組み、苦悶する論考というのは、なぜだかいつも心打つ。

 

第9位 北田暁大『嗤う日本のナショナリズム』(2005)

元祖2ちゃんねる論考。最初から最後まで、おもしろい。

2ちゃんねるを中心としたネット文化でひろがるナショナリズム的言説のメカニズムを、70年代の日本赤軍にまで遡って解き明かした論考。

なにがおもしろいかといえば、コニュニケーションの形式に着目して社会分析をやってのけた点だ。もちろんその方法論の起源を辿れば二クラスルーマンをはじめ、いろんな論者がコミュニケーションの形式に着目した社会分析をやっているだろうけど、ここまで面白くて、実践的で、価値のある論考はないんじゃないかと思う。

北田さん、こういう論考、もっと書いてくれないかなあ。

 

第8位 東浩紀サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』(2011)

東浩紀は、どうしても入れたいと思っていたけど、どれを入れるかすごく悩んだ。『動物化するポストモダン』もいいし、『一般意志2.0』もいい。個人的にすごくお世話になった『情報環境論』も捨て難い。

しかし、印象の強さ(読んだ後の瞬間風速的なインパクト)で本書を選んだ。けっこう衝撃的だったと思う。

内容は、読んで字のごとく。インターネットがなぜ「空間」として表象されるか、という問題を、たしかフィリップ・K・ディックを読み解きながら論じていた。すこし記憶が曖昧だから違っているかもしれない。

もうどういう筋で、どういう結論だったかということも忘れてしまっているけれど、おもしろい文章を書く人だなあと感心した記憶はある。一つの問題を手に、いろんな文芸作品を横断しながら、徐々に答えに迫っていく。その論考自体が、ある種ミステリー作品のような展開で進んでいく。

後ろに収録されている対談もおもしろかった。たしか斉藤環との対談だったと思う。じつは東浩紀は、対談がおもしろい。わたしの生涯ベスト対談は、東浩紀大塚英志の『リアルのゆくえ』だけど、本書の対談もかなりおもしろい。この人は、どんな話でも、話の核心を掴むのが本当に上手だ。

 

第7位 マックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1989)

海外の学術書は、どうしても「お勉強」として読んでしまうので、どうしても印象が薄い。けれど、これはかなり印象深い。

文章自体は、けっこう簡単(まったくの初学者が読むとそれなりに難しいのかもしれない)し、かなり短い。けれど、そこにウェーバーという人の学問に対する姿勢がじゅうぶんに垣間見える。どういうことろかというと、この人はとことん慎重な人だ。ふつうの人ならある程度、状況証拠が集まった時点で犯人を断定してしまうところを、この人は、仮説こそ立てるものの慎重に証拠をあつめて、反論をつぶしていく。こういう手つきは、ものを考えるうえで見習いたいと思った。

 

第6位 見田宗介『まなざしの地獄』(2008)

見田宗介(または真木悠介)も、けっこう悩みどころである。個人的には『社会学入門』を推したい気持ちもあったし、歴史的名作である『時間の比較社会学』も入れておきたい。でも、結局本書にした。

見田のすごいところは、「全身で学問をするところ」だと思う。何度も引用している言葉だけれど、見田の学問ポリシーは「本当に大切な問題に、真摯に誠実に向き合うこと」。それは見田の論考の行間からも感じ取ることができる。論じ方自体は、けっこう冷静なのだけれど、熱い。ひとつひとつの論考に自己の存在意義が賭けられているかのような熱さである。だからこそ、「おもしろい学問」の第一人者として、これからも存在しつづけるだろうと思う。

 

第5位 中村雄二『共通感覚論』(2000)

そういえばこのラインキングに入っている本を読んだのは、だいたい高校生から大学生のころだ。もっと大人になっても、そこそこ本は読んでいるのだけれど、やっぱりあのころのインパクトには勝てない。なにもかもが新鮮な時代。

本書もそんな時代に読んだ本。わたしが唯一、日本人で「哲学研究者」ではなく「哲学者」だと思う人。自ら思考し、自らの論を組み立てようとする。そういう悪戦苦闘をそのまま書籍にした本である。だから、ほとんど体系だってないし、話の筋も右往左往している。でも、それが面白い。

 

第4位 大澤真幸『<自由>の条件』(2008)

最初の2ページで痺れた。あまりに痺れすぎて、自分の修士論文でまるまる2ページすべて引用した。たしか文体も大澤文体で書いた。

大澤真幸文体を完全コピーした人間ならわかると思うけれど、彼の文章の持ち味は、クライマックスの接続詞の連打にある。ゆっくりと点と点をつないで、伏線を回収しながら、メインの結論部分に差し掛かると、いきなり接続詞連打がはじまる。「ところが、にもかかわらず、だからこそ、◯◯…」。大澤ファンはここでしびれる。3重に接続詞を重ねるとか、ふつうありえない。文章としては悪文と言われてもおかしくない。でもそれでいいのだ。なぜなら、それだからこそ、いや、それこそが、大澤真幸なのである。

話が逸れてしまった。本書も、そんな大澤節が炸裂している。本書の問題を簡単にまとめるとこうなる。現代は、技術的にも法的にも規範的にも、自由の領域が極大化している時代であるが、その一方でどうしようもない不自由感(不能感・閉塞感)を感じてしまうことがある、それは一体なぜか。気になる方は、ぜひ読んでみてください。

 

第3位 大澤真幸『不可能性の時代』(2008)

またまた大澤真幸。好きなんだから仕方ない。前の『<自由>の条件』はかなり大著だったけれど、本書はコンパクトな新書で読みやすい。それでいてかなりハイクオリティ。「現代社会」とは一体なにか、という社会学の基本問題に正面切ってアプローチしている。

 

第2位 内田樹『ためらいの倫理学』(2001)

ここにきて内田樹。この人が出てきたときはかなり衝撃的だった。こんな気持ちの良い文章が書ける人がいるのか、と驚愕した。とてつもなく分かりやすくて明晰。しかも常識とは違う視点を提示してくれて、文章自体もスパイスが効いてておもしろい。

時代的にも2000年代前半というのは、けっこう強権的な物言いが流行った時代だった。ジョージブッシュや安倍首相がいて、ナショナリズムが流行った。それに加えて、グローバル化が声高に叫ばれていた。端的にいえば、「はっきりと物事を決断し、意見を述べる」ことが正しいという空気だった。

そういう時代にすこし辟易としていたこともあったけれど、「ためらうこと」を正当化する論理がけっこう新鮮だったと思う。もちろん彼がオリジナルに生み出したわけではないだろうけど、10代のころはそんな思想には出会ってなかった。

タイトルを忘れてしまったけれど、フェミニストの話ぶりを批判して、その後で自分の批判を反省していた話とか、けっこう好きだった。あとスーダンソンダクの悪口をいっていた話もよかった。

 

第1位 養老孟司バカの壁』(2003)

これはもう、仕方ない。どうしてもこうなる。べつに評論系書籍のなかで『バカの壁』が一番優れているとも思わないけれど、インパクトを与えたという意味では、ダントツの一番である。

なにせそのころはまったく本を読まない高校生だった。世の中にはこんな見方があるのかと、本当に目からウロコが落ちた。

たぶんそのころはちょうど本書のテーマのようなことに悩んでいた。いや、悩んでいたというのは少し違う。言語化すらできない、もやもやした違和感だった。友達や親とのコニュニケーションのズレを感じながら、どうしてこの人たちは長々と会話するくせに、自分の話をするだけで相手と「わかり合う」気がないのだろう、と思った。自分のものの見方が絶対だと思っている大人にもイライラした。ちょうどそのとき9・11が起こって、それが自分の周りだけでなく、人類の普遍的な問題なんだとわかった。

そんなときに、自分のもやもやした違和感に「言葉」を与えてくれた本書だった。こんな文章がかけるようになりたいと思った。たぶんこの本に出会ってなかったら、わたしの人生は全然違っていたと思う。

だから、この本が一位なのは、仕方ない。

 

まとめるとけっこう長かった。最後にもう一度振り返り。

第10位 吉本隆明『転向論』(1990)

第9位 北田暁大『嗤う日本のナショナリズム』(2005)

第8位 東浩紀サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』(2011)

第7位 マックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1989)

第6位 見田宗介『まなざしの地獄』(2008)

第5位 中村雄二『共通感覚論』(2000)

第4位 大澤真幸『<自由>の条件』(2008)

第3位 大澤真幸『不可能性の時代』(2008)

第2位 内田樹『ためらいの倫理学』(2001)

第1位 養老孟司バカの壁』(2003)

 

このランキングが変動するときが来るのかしら。