SOCIE

在野の社会学研究者による尽きなく生きることの社会学

九鬼周造「偶然性の問題」


偶然性の問題 (岩波文庫)偶然性の問題 (岩波文庫)
(2012/11/17)
九鬼 周造

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・なぜ現代において九鬼周造が必要なのか?

 原発問題やリーマンショック事件を皮切りに「リスク計算」という問題が注目を浴びている。それと同時に、ビジネスにおいては、ビッグデータが活用され始めたり、『統計学が最強の学問である』などという書物まで出版された。このような「確率・統計」の知的技術は、現代社会と密接な関係になり始めた。

 このような「確率・統計」とは、言ってみれば、「偶然」をどのようにコントロールするか、という目的に収束する。サイコロを振ることや、人がどのように行動するか、ということは「偶然」の所産であり、それを客体化し、人間に操作可能なものにするために「確率・統計」が存在している。

 しかし現代において、我々は「確率・統計」といった小手先の手段しか語らず、そもそもの本質である「偶然」というものにまったく目を向けていない。「偶然」とはなにか。この問題を放置したままで、リスクや統計などを語っても片手落ちでしかないのである。

 ここに現代における九鬼周造の意義がある。おそらく「偶然」をこれほど自らの問題として正面から考えた哲学者は、九鬼周造をおいて他にいない。

 それでは、九鬼のいう「偶然」とは一体なにか?

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大澤真幸「思考術」


思考術 (河出ブックス)思考術 (河出ブックス)
(2013/12/12)
大澤 真幸

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有意味な読書をするためには

 人文・社会科学系の学問に興味を持つものならば知らない人はいないだろう大澤真幸が「思考術」なる本を出した。

 ただ本書は、「思考術」というよりも「読書術」といったほうが正確だと私は思う。もっと正確にいえば、「本をもとに考えるとはどういうことか?」という問題が実践的に書かれている。すなわち「私(大澤)は、こういう風に本を読んでこんなことを考えてますよ」という実例紹介だ。

 多くの人にとって、これまで読んできた本を人生の中に有機的に組み込めていると感じることは少ないと思う。たいていの読んだ本は、忘れさられ、後の人生に役立つことはない。せっせとマルクス資本論』を読んでみても、無理やりプルースト失われた時を求めて』を読んでみても、時間がたてばあらすじすら忘れ去られてしまうのがオチであろう。大著を読んでもそういうことがある。いわんや普段の読書ならば尚さら、忘れ去られ、無意味化することのほうが多いと思う。

 では、いったいどのようにすれば人生にとって有意味な読書をすることができるだろうか?

 もちろん読書は必ず有意味である必要はない。けれど、どうせ読むのであれば、有意味な読書をしたいと思う。それはいかにして可能か?

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松岡正剛「知の編集術」

知の編集術 (講談社現代新書)知の編集術 (講談社現代新書)
(2000/01/20)
松岡 正剛

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・よくわからないおじさん

 ある程度の読書家であれば、松岡正剛という名に聞き覚えくらいあるだろう。ちょくちょく本も出しているし、ネットで書評もしている。昔は雑誌の編集者だったらしいが、今は、なにやら学校を立ち上げたりしているそうだ。

 しかし、この人ほどよく分からない人はいないんじゃないかと思う。

 この人は、一体なにもので、何を成し遂げ、何を目指しているのか?

 外面的な情報をどれだけ集めても、そういう肝心なところは、これまでまったく分からなかった。それで一念発起して、彼の新書を買って読んでみた。しかし彼の著書を読んでみても、結局、肝心なところは分からずじまいだった。

 それは決して、彼の文章が難解であるという意味ではない。むしろ平易で分かりやすい。

 それにも関わらず、「彼が何を伝えようとしているのか」という要の部分がどうしても分からないのである。それはいったいなぜなのか?

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高橋由典「行為論的思考」

行為論的思考―体験選択と社会学 (叢書・現代社会のフロンティア)行為論的思考―体験選択と社会学 (叢書・現代社会のフロンティア)
(2007/07)
高橋 由典

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・行為論の面白さ

 「行為」とは、人間が意図した、意味ある行動のすべてを指す。

 仕事をするのも、ブログを書くのも、友達と意味のないおしゃべりをするのもすべて「行為」である。

 しかし「行為」は、たいていの場合、社会の規範や価値といったものに従っている。たとえば「朝、時間通りに会社に出勤する」という行為は、まず「時間は守られるべきだ」という規範があり、それが「就業規則」という制度に転換され、そしてその制度が「行為」を発動させる。

 行為論の最大の面白さは、このような拘束的行為ではない主体的行為にある。

 だが主体的行為とは、かんたんそうで実に難しい。なぜなら主体的行為は、自分では「主体的だ」と思っていても、たいていの場合、社会的価値の命令の奴隷にすぎないからだ。

 たとえば「会議で積極的に発言する」という行為は、一般的には「主体的行為」に分類される。

 しかしよくよく考えてみると、まったく主体的ではない。なぜなら、「会議で積極的に発言することは意義のあることだ」という社会的価値に拘束され、あたかもその価値に奴隷のように従っているからだ。

 では、社会的価値の奴隷ではない「行為」はいかにして可能か?

 主体的行為はどのように説明できるのか?

 

 

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東浩紀・大澤真幸「自由を考える」

自由を考える―9・11以降の現代思想 (NHKブックス)自由を考える―9・11以降の現代思想 (NHKブックス)
(2003/05/01)
東 浩紀、大澤 真幸 他

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・「自由」な時代は、本当に自由か?

 おそらく歴史的にみても、現代よりも「自由」な時代は存在しない。

 強権的な君主によって虐げられるわけでもないし、生まれながらに人生のレールが決まっている、ということもそうそうない。人は自由に生き方を選択できるし、その選択に対する社会からの圧力も弱体化してきている。

 しかし問題は、このような「自由」な時代にもかかわらず、人々の実感としてそれほど「自由」さを感じていないということにある。

 つまり現代社会は、一見「自由」なのに、なぜか「不自由さ」や「閉塞感」や「不能感」といったものを感覚せざるをえない。

 これはいったいどういうことか?

 この「自由さ」と「不自由さ」の共存は、いかに説明することができるか?

 売れっ子の社会評論家2人の共通課題は、おおむねこのような感じである。

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國分功一郎「ドゥルーズの哲学原理」

ドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書)ドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書)
(2013/06/19)
國分 功一郎

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・これは解説本の神様じゃないか

 思想家とか学者とかの難しい本を読むとき、わたしは素直に解説本から読むようにしている。

 難しい本を無理やり読んでも理解に時間がかかるだけだし、それならまず解説本を知ったうえで、本人に挑戦するほうが効率的だと思うからである。

 しかし、世の中の解説本を読むとわかるけれど、たいてい「本書」と変わらないくらい難しかったりする。これは本当にやめてほしい。

 たいていの思想家の本は、ある程度の背景知識を有している読者を想定して書かれている。だから「本書」が難しいのは仕方ないと思う。

 けれど解説書くらいは、一般人にもわかるように書いてほしい。

 たしかに「学会内のしがらみ」みたいなのがあって、あんまり「分かりやすい本」にすると業界人からの評判が悪くなったりすることがある。しかし解説書なんだからまともに解説してくれないとこちらも困る。

 例を挙げると『現代思想の冒険者たちシリーズ(とくにロランバルト!)』とか。

 しかしこの本は、いくたある解説書のなかでは、飛びぬけて分かりやすい。

 「分かりやすい」というのは、「平易な言葉づかい」とか「話が単純」みたいなことではなく、「言ってる内容は難しいはずなのに、論理展開が明快で、きっちり整理されているからすっと理解できてしまう」ということである。

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大塚英志・東浩紀「リアルのゆくえ」

リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書)リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書)
(2008/08/19)
東 浩紀、大塚 英志 他

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・思想的口喧嘩の対談本

 これまでで一番面白かった本は何ですか? と問われたら、私は間違いなく本書を挙げると思う。

 この本は、「物語消費論」の大塚英志と「データベース消費論」東浩紀という、新旧サブカル消費論者による対談本である。しかし読んでみるとすぐにわかるけれど、同時に「モダン対ポストモダン」の代理戦争であり、「旧世代対新世代」の精神的断絶を表した本でもある。

 世の中にある対談本の多くは、共通の問題意識を持ち、お互いを尊重しあいながら、両者の差異を乗り越えようと議論を深めていく「礼儀正しさ」を持っている。ときに「論壇同士の馴れ合い」に見えるほどに、気持ちよく話しが流れていく。

 しかしこの本は違う。

思想的立ち位置も正反対で、お互いを尊重しあう気もなければ、生産的な議論もない。いわば、ただの口喧嘩である。

 しかし読んでいるこちらとしては、「馴れ合い対談」よりも「口喧嘩」のほうが面白い。たしかにこの本から得るものは何もないのだけれど…。

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